京都は狭いから積み上がるのだ。

「京都は狭い」
よく言われる言葉だ。

それは多くの場合、知り会いの知り会いだけで、全京都人と繋がるのではないかという、人間関係の密度のことを指して言われると思う。

また、京都は、物理的面積も狭い。
京都の旧市街的部分(どこがそうだとはココでは明言しないw)は、山に囲まれていてスプロールすることもない。山裾から山裾の距離も驚くほど短い。

細いコップと太いコップ、同じ水の量だと細いコップのほうが水位が高くなるのと同じで、狭いところは、縦に積み上がるのだ。

それが、歴史や文化の深さとなり、京都に存在しているひとつの理由だと思う。長らく首都だったくせに、この面積の小ささで成立してきたのは、ひとつの特徴だろう。

人間関係が密だということは、まじめに生きてないと、悪評がすぐに広がるということだ。またはったりだけで、中身がない人も、すぐに噂がひろがりばれてしまう。つまり、一発あてて逃げる、なんていうビジネスモデルはほとんど成立しない。京都に根を張らないと商売は不可能だ。これが京都で商売するのは難しいと言われる所以。

これはすばらしいことで、つまりまじめに文化や技術やノウハウを積み上げなければ、この町で商売が成立しない。ということは、実質、いろんなものがリセットされずに積み重なる。老舗がたくさんあるのもこれが理由。

京都は流れる時間の価値を理解し、自分の生きていなかった時間まで、自分事のように捉えられる人が、日本で一番多いはずだ。世界でも絶対に10本の指に入る都市だろうと思う。その点においては、イタリア人と議論しても勝てないかもしれないけどw、負けることはないと思う。

面積の狭さと、人間関係の密度。これが「京都に時間が集積しているひとつの理由」。

ミラノにいると、いつもこのことをより強く感じるのだ。
だから、ミラノにいる今、一気に書き上げてみた。

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